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櫻 誓願寺 * かわら版

seiganji.exblog.jp

 浄土宗西山禅林寺派 櫻 誓願寺    名古屋市昭和区滝川町47      TEL:052-832-0562       櫻誓願寺からのお知らせ、   日々のこと。

寒い!! 法然上人追慕念仏行脚

新年が明けてから早1ヶ月、
すっかりご無沙汰をしておりました、副住職です。


さて、今年も1月24日、極寒の夜の京都を舞台に行われる
「法然上人追慕念仏行脚(ほうねんしょうにんついぼねんぶつあんぎゃ)」に
参加してきました。

この念仏行脚は、「嘉禄の法難(かろくのほうなん)」という故事にちなんで、
青年僧が数名ではじめて以来30年、現在では浄土宗西山三派、
浄土宗鎮西派、時宗各本山の青年僧200名程が参加する恒例の行事となりました。



黒衣・網代傘・手甲・脚絆という旅装束に身をつつみ、
午後5時半、京都・太秦にある西光寺を出発します。
長岡京市・粟生野にある西山浄土宗総本山光明寺までの約20キロを
お念仏を称えながら歩きます。

例年、この時期の京都は底冷えが厳しく雪が舞うことが多く、
今年も風光明媚な嵐山の渡月橋のあたりで吹雪にあいました。



よく「こんな寒い時期にどうしてこんな行事に参加するの?」と聞かれることがあります。

「南無阿弥陀仏」

現在、私たちは当たり前のようにお念仏をお称えします。
しかし、法然上人在世当時、それは決して容易なことではありませんでした。
今からちょうど800年前、1212年1月25日に法然上人が亡くなられて以後は、
お念仏に対する風当たりは大変厳しさを増します。その最大の弾圧が「嘉禄の法難」です。

法然上人の弟子たちは、追っ手から逃れるため、
上人のご遺体を安置した石棺を担ぎ、京都東山から西へ西へと向かいます。
最後に行き着いた先が、現在の長岡京市・粟生野。
その地で、上人のご遺体を荼毘(だび・火葬のこと)にふします。
それが後世、西山浄土宗総本山光明寺になりました。


午後10時、光明寺境内の法然上人の荼毘塚に行脚姿の青年僧が次々と到着します。
先頭から最後尾まで約20分ほどの時間差があるので、
その間、途切れることなくお念仏の声が境内中に響き渡ります。
寒空の中での行脚のため、体力的には限界であるはずなのに、
腹の底からお念仏が湧き上がってくる様な感覚をおぼえます。

10年前、寺に戻った最初の年にもこの念仏行脚に参加しました。
同じ様に、疲れきってお念仏を称えていると、
何とも言えない高揚感に包まれたかと思った瞬間に目から涙がこぼれました。
最後はぐしゃぐしゃの顔になってお念仏を称えていました。
それが何なのかは分かりませんが、それが私が毎年参加する理由なのです。



今回も例年のごとく、運動不足が露呈して
翌日、筋肉痛に見舞われました・・・。
毎年、身体を鍛えようと改めなおす行事でもあります。



寒い!! 法然上人追慕念仏行脚_d0249079_21332353.jpg

by sakura-seiganji | 2012-01-29 21:34

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